コラム

新着のコラム

些細な行動は、相手に伝わっていることを実感した出来事

呼吸療法士は、深鎮静を行う処置の時には同席することになっている。たとえば、不整脈を治療するカーディオバージョンを行う時である。呼吸療法士が同席する目的は、深鎮静による気道保護と呼吸への影響に備えて、すばやく対応するためである。看護師1名、医師1名、そして呼吸療法士の指導者1名とともに私を含めて学生3名が同席した時の、不思議な出来事をご紹介しよう。

深鎮静によって気道保護が必要になった患者に、私達呼吸療法士は下顎挙上を行う。指導者の監視のもと、私達学生はその手技を行い処置中の観察を継続する。もちろん、処置を始める前に気管挿管道具一式は持ってきてスタンバイ済みである。大抵の場合、気管挿管まで行うことはなく、口腔エアウェイを挿入するくらいまでで済むことが多い。カーディオバージョンが終了し、患者が覚醒して呼吸が安定するまでが仕事である。

処置が終了し、患者が覚醒するのを待つ間、私達は時折患者に刺激を与えるわけだが、このとき学生が3名もいたため、私がその時行えるのは、手を握って覚醒を待つくらいだった。私が手を握っていたその間、他の学生が声をかけて体に刺激を与えても、患者はまだ起きる気配はなかった。しばらくして、覚醒してきた患者が私を見て「君、手を握ってくれていたでしょう?ありがとう」と言ってきたのだ。これにはそこにいた全員がとても驚いた。その時学生は3名、指導者合わせてベッドサイドには4名いたのに、私が手を握っていたのをその患者はわかっていたのだ、覚醒していなかったにも関わらず。

私は看護の道に入ってICUというフィールドで勤務していることが多く、よく深鎮静の患者や、病態的に意識が無い患者の看護を行うこともある。そのため、私はいつからか「私が行うことは、だれが見ていなくても、患者が見ている」と思いながらケアをするようになった。そのため、深鎮静の状態や病態的に意識がない患者を目の前にしても、何か行う時には声をかけている。声による刺激を与えてはいけない治療下にある場合には、心の中で声をかけている。そこに、あなた(患者)がいることを私は忘れていないということを、患者にわかってもらいたいからかもしれない。そして、自分が患者にとってできうる限り正しいことを行いたいという気持ちがあるからだ。

医療従事者は、多くの患者と接するうちに、普通の感覚を忘れがちになる。たとえば、意識の無い患者の布団を取るとき、声もかけずにバサッと布団を剥いでいる医師も看護師も見かけることがある。自分が眠っているときに、何も声をかけられずにバサッと布団を剥がれたらどんな気持ちになるだろうか? 自分の愛する人が眠っているのに、バサッと布団を剥がれる姿を見たらどのように感じるだろうか? 医療従事者と患者や家族との信頼関係には、こういった普段の私達の行動が重要になってくるのではないかと思っている。

今、このコラムを読んでくださっている医療従事者の方にお願いしたいことがある。普段の自分の行動を、言葉だけでなく振り返ってほしい。あなたが患者だったら、あなたの愛する人が患者だったら、自分の行動や言葉をどのように感じるかということを。忘れないでほしい、私たちは医療従事者である前に、人であることを。